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「親日人名辞典」関係者に聞く。「親日派」とは。「親日清算」とは。 2011.02.21

「親日人名辞典」製作に関わった一人の発言です。
(ラジオの文字起こしをさらに翻訳したものです)
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87年のあの日、金大中に投票することは出来なかった 2010.09.16

(2009年8月23日、馬山YMCA在職中のイ・ユンギさんのブログから)

家族と馬山支庁に設けられた故・キムデジュン大統領の焼香所へ行ってきまし た。支庁大講堂前に設置された焼香所に、公務員の方々が二人で侘しい殯所を 守っていました。日曜日の早朝でしたが、思ったより殯所を訪れる市民は多く ないようでした。

焼香所を守る公務員たちに聞くまでもなく、芳名録や捧げられた菊の花の数だ けでもわかるようなものでした。それでも焼香所の人気の無さは、長い間、私 の気を重くしました。全国で市民が作った焼香所を、自発的に集まった「市民 葬主」たちが守っているというのに、支庁の焼香所には二人の公務員しかいな いということが残念だったのです。

私の周りの知人たちも、ノムヒョン大統領とキムデジュン大統領の死で感じる ことがだいぶ違うと言っていました。その中の一人は、二人の前職大統領の死 を次のように喩えました。ノムヒョン大統領の死がMB政権と正面から立ち向か った戦場で起きた悲痛な死だったとすれば、キムデジュン大統領の死は軍隊を 除隊した将の死のように思えると。聞いてみると一理のある話でした。怒りと 悲しみの少なさはそのような理由によるものかもしれません。

学生運動で出会ったキムデジュン「先生」

ノムヒョン大統領とは民主主義拡張へと向かう同時代をともに生きたものの、 金大中大統領はただの「伝説」のような存在だったのかもしれません。学生時 代、あの方は政治人にしては珍しく、学生運動の先輩たちが「先生」という呼 び名を使う、特別な人でした。

85年の大学入学の後、学生運動に足を踏み入れたばかりだった私は、86年5月中 旬頃、望まぬ軍への入隊をすることになりました。87年6月抗争、あの熱い瞬間 、抗争の最後の数日間、同志に向けて銃の狙いをさだめなければならないかも しれないという不安と良心の呵責を噛み締めながら過ごしたのです。

実弾を詰め込んだ陸攻トラックが練兵場で待機している中、軍服を着て戦闘靴 も脱げず、緊迫した待機状態で体を丸めて寝ていました。幸い6・29宣言が行われ、銃を持ってソウルしないへ出動するといった不幸なことは起きませんでした。

87年の大統領選挙


その年の冬、大統領選挙がありました。不在者投票が始まって数日後、部隊が騒然となりました。隣の中隊員の誰かが、ペクギワン(백기완)候補に投票をしたという噂があっという間に広まりました。秘密投票が憲法で保障されている国で、如何にしてそういうことが起こり得るかと思う方もおられるでしょうが、当時の軍隊内の書信検閲は、これぐらいのことは朝飯前といえるほどでした。

すべての予定が中断され、大々的な政訓教育がなされました。それから不在者投票のための郵便物が届くと、中隊長自らが投票用紙を取り出しておき、用紙ごとに将兵を呼んでは投票をさせたのです。当時、行政兵として勤務していた私は、中隊長室で行われる一連の行いを間近で見ていました。もちろん、私もまた同じ状況で投票しなければなりませんでした。

机の上に投票用紙を広げておいた中隊長は、投票をしに来た将兵に、必ず誰を指示しているかを聞いてきます。

「君はどの候補を支持している?」
「はい、上兵(上等兵)○○○、ノテウ候補を支持しています」

このような返事が出れば中隊長は投票用紙を差し出し、投票をしろと話します。しかし、すぐにノテウ候補を支持しているおいう返答が出ずに躊躇したり、キムデジュン、キムヨンサム、ペクギワン候補を支持するという返答が出れば、冷たい空気が流れ始めます。

それから精神教育が始まります。国家と民族の将来のために、なぜノテウ候補が大統領になるべきなのかを話し始めます。したがって、学生運動圏出身、学生運動圏出身でなくても大学在学中に軍隊に来た将兵たち、湖南出身の人々はすべて、いわゆる「関心私兵」だったのです。(訳注:ブラックリストみたいなものです)

不在者投票用紙が来れば投票をする前に、個別的にいわゆる「政訓教育」を改めて受けることになります。最後までノテウ候補を支持すろという返答をしない場合には、とても信じられない投票をすることになりました。

中隊長は投票用紙の残りの名前をすべて掌で隠し、ノテウ候補の欄しか見えないようにしてから、将兵たちに投票を促します。少なくとも自分が代わりに投票しているわけではないという意味だったのかもしれません。とにかく、部隊の措置により、自分なりの良心を守ろうとしていた何人かの将兵たちも、ここまで来るとほとんどが屈服していました。

軍事独裁は掌で天空を隠そうとしたのです

掌で投票用紙を隠すやり方が通じない場合の最後の手段が、投票をさせないことでした。そのまま内務班に返してしまったのです。このような将兵の投票用紙が本当に無効になったのか、誰かによって代理投票が行われ、地域選管委へと発送されたのか、私には知りようのないことです。

とにかく、87年の大統領選挙にて、ノテウ候補が大統領に当選しました。それよりも重要なことは、多くの軍将兵の投票権が軍事政権によって弄ばれており、多くの将兵の民主主義と良心が蹂躙されたという歴史的事実です。個人的にも良心を守れなかったという恥ずかしさを一生抱えていくことになった、胸痛むことでもありました。

キムデジュン元大統領は1992年と1997年大統領選挙に続けて出馬し、ついに大統領に当選しました。彼の大統領当選にはDJP連合という残念な部分がありましたが、この国の民主主義は広く大きくなりました。彼の大統領当選は、この国から不正選挙を追い出す過程でもあったのです。

彼を支持する国民が彼に投票することが叶わなかった、脆弱な民主主義の土台が、彼が中心となった民主化闘争によって、少なくとも国民が自分の支持する候補に投票できる国へと発展したのです。振り返ってみれば、彼の人生こそ、この国の民主主義の歴史だったように思えます。

親日派の系譜 2010.06.04

親日派が牛耳る韓国の近代史のまとめ

空前のヒットを記録した「黎明の瞳」というドラマがあります。

これにスズキという悪役の高等系刑事が登場します。(*朝鮮人です)この人物は多くの独立運動家らを捕まえて拷問し、死にいたらしめます。罪のない人に不逞鮮人のレッテルを貼って冤罪をかぶせることもありました。主人公のハリムもまた、この人物に家族を失った犠牲者のうち一人でした。スズキはハリムにも罪をなすりつけるために奔走します。そんな中、第2次世界大戦が勃発し、ハリムは徴兵されますが、脱出し、米特殊部隊に渡って、独立運動にも足を踏み入れます。

そして戦争は連合軍の勝利で終わり、ハリムの祖国は解放を迎えます。ついに世の中が変わりました。ハリムは平凡な市民に戻ることができました。ところが、ハリムはひょんなことで訪れた警察署で、信じられない光景を目撃することになります。警察署で、相変わらず部下に命令を下しているスズキを見かけたのです。激昂したハリムは、駆け寄ってスズキの胸倉を捕まえて叫びます。

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「スズキ!お前が何故ここにいる!お前が何故ここにいるんだ!解放になったんだよ!スズキ!」

この問いに対してスズキは、部下たちにハリムを引きずり出せと命令します。ハリムは無力にも警察に引きずられていきながら慟哭します。それを忌々しそうに眺めるスズキがうそぶきます。「あのアカ野郎が…」

「黎明の瞳」劇中で、このシーンはとてもショックなシーンなのですが、親日派は国が解放になっても処罰されるどころか「役職を約束」され、独立運動をした人はアカとされ「暴力の餌食」になる解放後の状況。解放になっても世の中はまったく変わらなかったということ。これは物語のために用意されたフィクションではなく、韓国史で実際に起き、今なお続いていることなのです。

米軍政を後ろ盾にしたイスンマン(李承晩)は、政権を掌握するために親日派をすべて吸収します。

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状況が反転し処罰されることを恐れていた朝鮮総督部の官僚たちと警察などは、喜んでイスンマンにくっ付きます。そして韓国戦争が起きるのです。親日派は活路を見だしました。彼らは「アカ」をダシにして自分の身を守ったのです。「アカが攻めてくる」、「アカが君たちを殺そうとする」、「私たちしか、アカから君たちを守れる者はいない」

そうして親日派は植民地時代の権力を維持したまま、建国の功労者としての地位を固めます。イスンマン独裁時代において勢力を広めていった彼らですが、再び危機が訪れます。1960年、4.19革命が起きたのです。彼らは肝を冷やします。

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ところが、たった1年後…パクチョンヒ(朴正煕)による軍事クーデターによって、親日派たちにはまたもや活路が開かれました。

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彼らは次に、パクチョンヒの共和党に身を投げます。彼は大日本帝国に心酔していた男ですので、歴史の必然かもしれませんね。そしてパクチョンヒの独裁が始りました。パクチョンヒは憲法改正を行い、自分が死ぬまで大統領をつづけられるようにしました。国会?そんなものはいりません。解散させてしまいます。夜ごとに秘書室長に手配させ、女子大生を抱いたまま酒を飲む趣味をつづけていたのですが、1979年10月26日。この日もまた女子大生を呼んで酒を飲んでいたところ、銃に撃たれて死にました。

親日派はまたもや頼るべきボスを失いました。安心する暇もありません。…しかし希望の光は、またもや照らされました。全斗煥(チョンドゥファン)が12.12クーデターを起こして政権を掌握したのです。親日派らは、言うまでもなくチョンドゥファンに抱きつきます。

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1980年5月18日の光州にて、民主化を要求する市民に向けて銃弾を放ち、多くの罪なき人々が殺されます。

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そして自分たちだけで集まって、勝手にチョンドゥファンを大統領に選出します。パクチョンヒの共和党の人事たちは、今やチョンドゥファンの民政党を構成することになりました。

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やがて1987年6月。最大の危機は訪れます。

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全国民が大統領直選制を要求しながら街へ溢れ出てきたのです。果てしなく溢れ出てきました。大統領はお前らに選ばせない。私たちが直接選ぶとダダをこねます。ノテウに大統領職を継がせようとしていたチョンドゥファンは、仕方なく屈服します。そして、ついに、大統領を国民が直接選ぶ選挙が始まります。親日派たちは、今度こそ崖っぷちに立たされました。ところが、彼らにとって泣くほど歓迎すべき奇跡が起きました。

長く民主化運動を一緒にしてきたキムヨンサム(金泳三)とキムデジュン(金大中)が、2人とも相手に大統領の座を譲ることができず、口論した末に候補単一化に失敗し、票が割られたのです。

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結局、ノテウが35.9%の得票率でギリギリに大統領に当選されます。親日派はまたもや安泰です。それから何があっても一度は大統領になってやると決心したキムヨンサムは、ついにノテウに降服します。ノテウ、キムヨンサム、キムチョンピルが3党合党をし、民自党を作ります。

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唯一の民主化勢力となったキムデジュンは孤立します。

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90年1月30日、民主主義を叫んでいた勢力が独裁軍事政権(民政党)と3党合党する前日、統一民主党の解体式場で、キムヨンサム総裁が「解体に異議ありませんか?」と聞くと、空気の読めないノムヒョン氏が一人で「意義あります!」と叫びます。司会者だったキムヨンサムはノムヒョン氏を見なかったふりをして「なら、異議がないということで…議決したこととします」と語ります。そのとき、ノムヒョン氏が大声で喚きます。「私は反対しています!」統一民主党は解体され、キムヨンサムは大統領になります。

そして次の大統領選挙で、民主化運動の経歴を売り払い、良心を売り払い親日派軍事独裁勢力と手を結んだキムヨンサムは、生涯の夢だった大統領に当選します。党の名前は新韓国党と変えました。

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そして賄賂や不正にまみれた政府は1997年、IMF事態を招きます。国が破産したわけです。

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多くの会社が消えてなくなり、多くの人々が職を失い、多くの人々が一升瓶を握って漢江に飛び込み、首を吊りました。新韓国党はこっそりハンナラ党に名前を変えます。ただ党の名前を変えただけで、国を破産状態に追い込んだ彼らは40%の得票率を大統領選挙で獲得します。信じられないことです。

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にも関わらず、紙一重の差で、ついにキムデジュンが大韓民国史上初の政権交替を成し遂げます。親日派が大韓民国建国以来初めて、政権再創出に失敗した事件が起きたのです。パニックに陥った彼らは、5年の辛抱だと再起を誓います。5年間ひたすらキムデジュンを赤だと罵倒します。スズキがハリムをアカにしたように、彼らの特技はとにかく相手をアカに仕立てることです。

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ハンサンボム名誉教授(東国大):マッカーシズムの論理、それが最後のカードなのです。我が国の右翼には民族主義がありません。なぜなら日帝時代にすべて親日派のほうへ投降した売国奴勢力であるため、この方々の唯一の論理が反共です。反共を使って今まで正当化することができました。反共する相手がいなければ容共分子を仕立てあげます。反共一筋です。唯一の生命線は反共だけです。しかし、それすらも偽りの反共なのです。

しかし5年後、一番見下していたノムヒョンにまた敗北します。

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もうなりふり構いません。再び5年間、アカだと印象付けることに心血を注ぎます。経済が死亡したと叫びます。庶民経済は壊滅したと叫びます。まるでIMFはキムデジュンが招いたことのように思えるほどです。

とにかく、キムデジュン・ノムヒョン政権で親日派名簿を作り真相を調査する作業が始まります。親日派たちは危機感を覚えます。政治的弾圧だと論点をすり替えます。その過程でニューライトが結成されます。反対者を赤にするだけでは足りないと感じた彼らは、もはや自分たちの過去の行いを隠そうとしません。植民地時代は素晴らしかったとの説得に乗り出ます。親日行為を正当化する頃合いが来たのです。

統計資料をもとに植民地時代はすさまじく経済が発展した時期だったと主張します。それが近代化をもたらしたと主張します。自分たちを親日派と呼ばず、近代化勢力と呼んでほしいとのこと。軍事独裁勢力ではなく近代化勢力なのだと主張し始めます。彼らの論理はシンプルです。「親日の事実があるとしても、経済がよくなればそれでいい」「独裁で力のない人々が死んでも、経済がよくなればそれでいい」

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そしてイミョンバクをプッシュします。「詐欺・脱税・選挙法違反などの犯罪歴がたくさんあるとしても、経済を立て直すなら、それでいい」とても嘆かわしいことですが、韓国民はこれに賛同します。ついにイミョンバクは大統領になり、ニューライトは新政府の閣僚として、あちこちの席を埋めます。彼らは今も歴史教科書が左に偏っていると主張しながら、植民地時代、独裁時代を近代化時代に変えるために奔走しています。

日帝時代―親日派―自由党―共和党―民政党―民自党―新韓国党―ハンナラ党へと繋がる勢力が、再び政権を握りました。大韓民国史上、彼らが権力を逃した時期は、たったの10年だけです。

そして彼らはこの10年を、「失われた10年」と呼んでいます。

一つだけ問いたいと思います。この国を、誇れる国だとお思いですか?
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