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韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(1/7) 2010.05.16

韓国史のウソを論争する―左派と右派、変な「語り部」たち

2006年3月21日(火)夜7時

司会者(以下、司) 今日はハン・ホング先生とパク・ノジャ先生が「韓国のウソを論争する」という主題で面白い話をしてくださるようです。パクノジャ先生はこの講演のためにわざわざなけなしの金をはたいて飛行機に乗ってお越しくださいました。拍手でお迎えください。(聴衆、拍手と歓呼)

まずパク・ノジャ先生に個人的に聞きたいことがありました。パク先生は天才ではないだろうかと思える理由として、若い方なのに他国の言語と文学をここまで深く知っておられるので、自分が恥ずかしく思えたり、私たちの国の学者たちが今まで怠けていたようにも思えます。(聴衆笑)そんな中で一つ気になることは、個人的な話ですが、韓国女性と結婚なさって帰化され、「朴露子」という名も得られましたが、数多ある姓の中で、どうして朴氏を選択なさったか気になります。

朴露子(以下、朴)
下手すれば集団主義のようなものだと言われるかもしれませんが、ソ連で主に指導してくださったミハイル・パク先生が密陽朴氏だったんですね。韓国風に話すと、たぶんこの単語を知らない方々が多くおられると思いますが、私に「賜姓」してくださったわけです。嘘ではないことを明らかにしておきます。(笑)

そうでしたか。パク先生の本を読みながら、私が個人的に感じたことは、本を読んでいると、大韓民国の国民が一列で並んで、パク先生に叱られるような図が浮かぶんです。湧きおこる愛情を持ってお書きになったのだと信じてはいますが、それでも子細に渡って、本当に韓国の国民なら一人も抜け出せないほど鋭く細かく、普段の私たちが気付けなかった問題を教えてくださるので、全国民が罰され叱られる気がしました。あまりにも叱られてばかりなので、ちょっとだけ寂しい気分さえしてきます。それでも帰化までするほどですし、韓国をとても愛しておられるようですが、韓国のどこが気に入って、本2冊に渡って叱ってばかりだったのに、名前まで変えられたのですか?

さあ、私も似たようなところが多いので、ただ自分自身を叱る気持ちで本を書けばいいんですよ。(笑)

では前世に朝鮮の方だったのではないでしょうか?

どうでしょう。私たちは仏教で前世を信じるとか往生を信じると簡単に言いますが、実際の仏教の教理はずっと複雑です。(聴衆笑)精神の流れというか、そういうものを信じるのですが、それをそのままなぞるなら、そうだろうと思います。

ハンホング先生にお聞きしたいことは、本当にやっておられる仕事が多すぎです。いろんなところにホンギルドン(*訳注:朝鮮時代の小説に登場する義賊。道術で分身したり瞬間移動したりします)さながらの仕事をなさっている上に、学生たちを教える仕事も相変わらず継続されています。しかも文章も書き、本も出します。それで'ハンホングは数人いる'という説もありますが、(聴衆笑)いったい物理的にどうすれば可能なのですか?

韓洪九(以下、韓) 言われなくてもやり始めた仕事が多すぎて収拾がつかず、これをどうすれば減らせるか悩んでいます。ところでこれはすべて繋がっている仕事なので、何か一つを切り落とすことも容易ではありません。

本当にハン・ホング先生のような方が忙しくなくなってこそ良い世の中になるんじゃないかと思います。そのためには、皆で力を合わせ、ハン先生の収入源を減らす努力をすべきだと思います。(聴衆笑)今度は、お二人様に女性としてお聞きしたいことがあるのですが、パク先生は「歴史についてのウソ」という主題でインタビュー特講をされながら、女性についての話をとてもたくさん扱われました。いわゆるフェミニズムに基づく見方も多いですし、性平等に関する話もたくさんされました。ところで進歩的な枠組みに入っている男性たちが、実際は真の平等を成し遂げられないでいる場合が多いのですが、外でこんなに喋られるほどに、家でもちゃんとやっておられます?まず、ハン先生からお答えください。

こんなときは先に自首するのが上策です。はい、ほとんど出来ないでいます。アメリカにいたころは私が厨房を仕切りました。今はそれが出来ないのですが、言い訳が何かと言いますと、実はご飯を用意するには自分で買い物をしないといけないのですが、ここではそれが不可能だからです。いま頷かれている方々はみんな主婦でおられるはずで、ただじっとしておられる方々は何もしておられない方々なのでしょう。ここでは買い物に出る時間もなく、また家でご飯を食べるのが本当に一週間のうち日曜日だけのような状況なので、家事労働現場から隔離されているほうなんです。

重要なことは、これがたしかに私の仕事だという概念が頭の中に刻まれているかどうかが決め手のようなんですね。実質的に「やる」と表現すべき状況にて「手伝ってあげる」という表現を本当に多くが使われています。それが手伝ってあげるんじゃなくて自分の仕事だと悟ることが重要なんです。では、パク先生は本人の仕事だと確実に信じておられますか?

私は洗い物と掃除の水準を超えようと熱心に努力するのですが、私は韓国料理を作るのが下手なのでご飯を用意するのが難しいんです。

弁明がお上手ですね。二方の奥さんはどちらも外で仕事をなさっていると存じています。本当に家事と育児が百パーセント共同の仕事になるその日が来るまでは、韓国女性らが未だに残酷な労働の現場の中にいるということを、ここにおられるすべての男性の方々がお忘れにならないことを望みます。

まずパク先生が今日用意してこられた内容は、天機漏洩に該当する話です。歴史叙述家たちがウソをつくかもしれない。すべての歴史が真実ではない等々。この講演が終わると先生にあちこちから攻撃があるかもしれません。みなさん、<羅生門>という映画をご覧になっていますね。たったひとつの事件が起きたのに、誰がそれを記述するかによって話がまったく変わってしまう内容の日本映画です。そのように、本当に同じ歴史だけど誰が記述するかによって、どんなふうに違う話が繰り広げられるのかについてパク先生が話してくださいます。そしてハン先生が話されることは実は徹夜で話しても足りないはずの「韓国現代史にどれほど多くのウソがあったのか」ですが、その中でもっとも強調されたいのはどこでしょう?

どうでしょう、ウソといえばとてつもなく悪いものばかりだと思われますが、ウソが作られる過程を見ますと、個人の力だけではどうしようもない、個人の意思とは無関係にウソになる場合も多いんです。韓国近現代史でもっとも悲しいウソを話せと聞かれますと「すぐに帰ってくるから」ではないかと思います。夫が出勤しながら言う言葉ではなく、私たちが分断されるときに戦争を行い、このように約束を守れなかった人々が数百万います。ウソというものにはとても悪質的で悪いウソもありますが、このように私たちが生きていくうえで避けられないで言う場合もあり、もしくは日ごとに軽くウソを犯していく場合もあると思います。それと最近、私が主に過去清算に関わる仕事をしてみたところ、過去清算の対象になる事柄の殆どすべてが、ウソとつながるしかない部分だったのです。その辺りは順を追って申し上げます。

二方に私がナンセンス的な質問を一つしたいと思うのですが、センスのある返答をしちゃダメですよ。歴史のウソはどんな色だとお考えですか?

俗にウソに対して色を与えるときは「真っ赤なウソ」がやはり一番有名ではないでしょうか。それでなぜ赤いと言うのか気になって周辺の人たち何人かに聞いてみました。そうするとアカどもがウソをたくさんつくから、反共教育をとても徹底的にうけた方々はそうお考えだろうという返答がありました。私が最近そんな方々にたくさん会っています。ですが、実は真っ赤なウソという言葉は共産主義よりもずっと歴史が深い。ウソの色を「色論」と結びつけるのは問題があると思います。それよりは、私たちの言葉で「赤裸裸」という言葉に赤の字が入っているように、何重にも重なったウソが丸裸にされるという意味で、真っ赤なウソだと言ったのではないかと思いますね。これは伝統的なウソの色です。

ならば伝統的でないウソの色には何があるでしょう?

どうかな、歴史学でのウソといえば、カーキ色だと思いますね。カーキ色、ご存じですか?国防色。実際に歴史教科書を見ますと、国防色を塗ったみたいなんです。実は完全にウソだと言いきるのも難しく、いわば紙にちょっとずつ上塗りしたようなものなんですね。ある事実をまったく歪曲させることはしないとしても、事実の上に少しずつ国防色を塗れば国史の本になります。(聴衆笑)だいたいそのように申し上げることができますが、この場に集まられた方々は国史の本を義務的に学ぶ方々ですからより具体的に申し上げるとすれば、たとえば高句麗と新羅と百済が自分たち同士で喧嘩すればそれをなんと呼びます?いまはどうだかわかりませんが、かつては統一戦争でしたよね。そうですね?それは統一戦争ですし、たとえば高句麗と隋がぶつかればそれは統一戦争ではなく、民族の戦争になるのです。戦争が起きたことは同じですが、いうなれば今まで高句麗と新羅がぶつかるとき、新羅が主体となり高句麗は百済と並んで新羅の統一対象だと見なされ、その統一がとても当然のことで、歴史的にすごく進歩したものだと描かれるんです。反面、百済は実際は外勢とそんなに戦っていないのですが、高句麗が外勢と戦うときは高句麗が善玉になるわけですね。

つまり、教科書を書く人の性向によって、同じ国が歴史の主体になったり、歴史の対象になったりするわけです。国防色のウソだと言えます。まず韓半島の歴史自体を戦争史だと見ているのであり、戦争を行ういろんな勢力の中で、それなりの理由で好きなある特定の勢力を歴史の主体だと見るのです。嶺南出身の軍人たちは当然、新羅側を選んでそれを歴史主体だと設定し、国防色で少しずつ塗る代わり、高句麗も私たちの民族だと見なすので高句麗が新羅ではない別の対象と戦うときはそこにマイナスではないプラスを大きく塗り、それを私たちの誇らしい歴史にそのまま入れるのです。その次にもたくさんあるでしょう?たとえばモンゴルの軍隊と戦うときは、誇らしい対蒙抗争になりますが、モンゴル軍と連合して日本を征伐するときはちょっと困るではありませんか?日本は憎らしい相手ではありますが、戦争をしていたのにモンゴル帝国と一緒に連合したということは気に障るのです。教科書にはどう載っているのでしょう?

教科書は単純明快であるべきですから、たぶんそのような悩ましい話は抜け落ちているでしょうね。ところでパク先生がそのこと仰られると、今どこへ行って何をしているのかもわからない中学校の同窓たちが思い出されたのですが、その友人たちが歴史の時間にその話が出たときに「あ~、そのときなんで神風が吹いたんだろう?吹かなければ俺たちが日本を征服しているのにな」と悔しがっていたんですよ。(聴衆笑)それが1970年代当時の私たちの雰囲気でしたし、そのような雰囲気の中では古代史について知り得ませんでした。知らなくて当然でした。古代史の記録と言ったところで、全部積み上げても私たちの膝までしか届かない程度でしたから。ですからその中に数千年もの間、その人々がどう暮らしていたかをわかる内容が全部入っているはずがないんです。主に古代史であるほど戦争史を中心に書かれるのですが、もっとも代表的な場合として、花郎(ホァラン)はひたすら護国精神としてのみ知られています。実は花郎はとても多様な性格を持っており、したがってその中から様々な側面を引きずり出すことができます。最近、花美男の話が流行っていますが、この花郎という字こそが花美男ではありませんか?そのほかにも、しまいには同性愛的なコードすら読みとることができますし、シャーマニズム的なコードも読みとることができます。なのにそこに全部、パク先生が仰られたカーキ色のウソで上塗りしてみると、花郎がひたすら護国精神、武術練磨などで描写されるのです。特に花郎を強調した時期が1960年代、1970年代に嶺南政権が君臨した軍事主義的な時期だったために、言葉に尽くせないほど潤色される過程を経ているのです。

同様に中世国語を見ますと「ホァランイ」「ホェレンイ」が何を意味していたと思います?最近、<王の男>の人気がありすぎて廣大(クァンデ)について関心が寄せられていますが、「ホァランイ」も廣大のような意味ではありませんでしたか?

どうでしょう、そのような見方もできると思います。

つまり、廣大の同性愛的な部分も、ひょっとすると新羅の古代文化を継承しているのかもしれません。私たちが日本文化をいろんな理由であまり見たがらないのですが、たとえば同性愛的なコードは日本の場合は古代や中世で寺院の日常的な文化でとても強く表れる半面、韓国歴史では徹底的に見放されてきたわけです。

最初からこのように火花の散る言葉が行き来しているので、想像するだけでとても幸福な時間になりそうな気がします。歴史を持ってどうやってウソをついてきたかについて、お二方が講演を導いてくださるでしょう。主にパク先生がいくつかの主題を持ってハン先生に質問される形で進めます。

韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(2/7)

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