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韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(3/7) 2010.05.18

易地思之の知恵

開花期を論ずるとき、率直に申し上げれば私としてはすごく申し訳なく思えることが一つあります。「易地思之の知恵」という言葉があるではありませんか?私があの当時の人だったらどうしただろうかと考えてみるのです。パクウンシキ(朴殷植)先生やシンチェホ(申采浩)先生は日帝初期に檀君を一番熱心に祭ったのですが、その所以は何だと思います?国が滅ぶと、いままで持っていたイデオロギーではどうしようもないのです。今まで抱えてきたのが社会進化論なのですが、社会進化論では強者が弱者を食い殺すのを当然の断りだとしています。それでもう食い殺されたのだから、社会進化論から見れば強者に完全吸収され強者の一部分にならないといけないというのが日帝末期のイグァンス(李光洙)のような所信親日派の論理です。イグァンスは社会進化論を最後まで握りしめ、朝鮮民族が強くなれないのなら、どうせ弱者ならば強者である偉大な大和民族の一部分になって戦おうと話したのです。したがって選択の余地があまりなかった当時に、シンチェホ先生やパクウンシキ先生が檀君の「偉大性」から社会進化論からは見つけられない朝鮮人の希望を見つけようとしたことを思うと、易地思之の立場で見つめた場合、責めるに責められなくなるのです。

しかし、どうしようもない部分だと認める一方、シンチェホ先生やパクウンシキ先生の文を読むとき、ちょっと妙な感じがするところがいくつかあります。民族主義史学の先駆けだと思われている《読史新論》があるでしょう?シンチェホ先生が1908年度に連載された本ですが、この本は言うなれば韓国民族主義の誕生を宣言したものです。そこを見ると民族の歴史を一つの族譜だと見ています。民族自体が大家族であり、大家族の歴史は言わば一つの大きな族譜です。当時、シンチェホは何よりも民族で血統を重視し、韓国歴史を根本的に神聖な夫餘族血統の歴史だと見ました。だからとて混血の事実や帰化人たちがここに来て一緒に住んだということを否定はしませんでしたが、正確に「夫餘民族が主であり、いろんな帰服した者たちが客である」と表現しました。

言うなれば血統メインの歴史ですが、混合民族説を完全に否定したものではありませんでした。これは率直に申し上げれば当時、日本で歴史を叙述する支配的な方式に殆どそのまま従ったのです。ここでいろんな問題が発生し得るということです。とにかく、普通は檀君お爺さんをとても思慮深く白くて長い髭を持つ千人のような方だと思いますので、見方によっては崇拝しても害悪はないと思いますが。(聴衆笑)

檀君お爺さんの外見について言われましたので、一つだけ申し上げてから進むとします。これが本当におかしい話なんですが、韓国戦争の頃にばら撒かれたビラがあります。北朝鮮に、お前らも檀君お爺さんの子孫ではないかと語りかける内容でした。ところがそのビラを見て気絶しそうになったし、一緒に見た人々も腹を抱えて笑ったのですが、檀君お爺さんがアテナ神殿から飛び出してきたような、そんな外見なのです。月桂樹のようなものを被り、頭がハゲていて、白い髭が豊かで、私たちの伝統服装でもない白いガウンのようなものを着ていました。(聴衆笑)たぶん韓国戦争の頃にUN軍から影響を受けてそうなったのではないかと思います。(聴衆笑)

実際はシンチェホ先生の文を読んでみると檀君お爺さんは希臘の神でもなく、髭を伸ばした山の仙人でもなく、征服王朝として表れます。シンチェホが檀君お爺さんを誰と比べるかと言いますと、アレクサンダー大王その人です。私たちの古代史にもアレクサンダー大王のように西側と東側をすべて征伐し征服王朝を建てた方がおられたが、それが檀君だと言うのです。見ようによっては、日本の神武天皇とかなり似ています。当時、日本民族主義者たちが神武天皇、つまりジンムテンノウというたいして歴史性のない人物を《日本書紀》という昔の本から引きずり出し、民族の祖先にするのですが、ある意味、似たような性格で作ったのではないかという疑いがあるということが一つ目の問題です。

次に、民族は一つの大家族ですが、この大家族の本業が戦争です。そんな初期の檀君教史観にて歴史をどう見つめているかが次の問題です。パクウンシキ先生は中国へ亡命された次の年に《夢拜金太祖》、すなわち「私は夢で金の太祖を拝謁する」という題名の小説を書かれましたが、その小説で、私たちの民族に金の女真族までをも含んでいるのです。

女真族が今は独立国家じゃないから助かりましたが、女真族の立場から見れば朝鮮工程です。(聴衆笑)

そうです。民族が作られるときは互いに奪って奪われるものがありますが、まず《夢拜金太祖》を見ると、太祖は戦争で大きな功を立て漢族を打倒したため偉大であり、私たちの民族は何よりも軍事的に強く偉大な民族だと叙述されているのです。結局、私たちの進む道が見ようによっては日本の富国強兵戦略と極めて似た形で描写されているという点において、「軍事主義」という問題があるのです。また、このような民族主義的想像の中で女性は上手くいけば英雄の協調者であり、ごく稀には英雄です。たとえば開花期の人々が本当に好んだ世界女性史の人物がたった2人います。ジャンヌ・ダルクと、それよりは人気が低かったのですが、それなりに人気のあった羅蘭夫人です。羅蘭夫人はフランス革命のときの女性ですが、とりあえず中国のほうで作られた伝記があり、人々がそれを多く愛読しました。

このように、国のために戦功を立てるなど、つまり男のような性格でいわゆる名誉男性になり国の仕事に積極的に介入した女性なら例外でしたが、基本的に女性は英雄の良妻賢母であるべきだというのが檀君を祭った方々の女性観であられたのです。もちろん、易地思之の立場では、この方々を責め立てるのがとても難しく、当時のこの方々が進歩的だったとしても、たとえば社会主義ないしアナーキズムをまだちゃんと知らなかった頃だったので、本当にどうしようもなかったと考えざるを得ないのです。とにかく、それでも檀君お爺さんを作られた方々の進歩的性格に限界があったことを指摘できるのです。

限界は自明のものでしたが、問題はシンチェホやパクウンシキのような方々をいま、誰が辱めているかです。当時のその方々の限界に、未だにそのまましたがう人々が問題なんです。その方々はあのとき仕方なくそう話したのです。たまにこういうことを考えます。シンチェホが、自分が書いたものを本当に全部信じただろうかと。(聴衆笑)シンチェホは切れる方です。つまり自分がなぜそのような話をしているか、誰よりもよく知っておられたと思います。

シンチェホやパクウンシキ先生のような方の偉大なところは、その方々が話した内容にあるわけではないと思います。その時代でシンチェホは忠清道で生まれた生粋の生理学者でした。ところが自分自身を投げ捨ててそれを変えるんですね。しばらく後にペクボム(白凡)キムグ(金九)先生について問題を提議されるだろうと思いますが、ペクポムの話されたことの中に「千尋の崖っぷちへ登ることを丈夫だと言えるか。そこから自分を投げ捨てることが丈夫じゃないか」という言葉があります。歴史の激流の中で自分が信じていた価値を捨てなければ活路がない局面で、それを変えていく過程こそが立派なものだと思うんです。つまり、すべての歴史的な部分には進歩的な性格と限界が同時にあり得ますが、その人が持つ本当の進歩性というものは、その人が自分自身をどう省察し、その結果、どう変化させていくかにかかっていると思います。

先ほどパク先生が社会進化論について興味深い話をされたので私も付け加えていただきますと、この社会進化論というものは、とても息苦しいものでした。ところが当時、この進化論がよりによって化学の力と合わさって押し寄せてきたんですね。社会進化論というのはとても俗流的ですが、社会科学と科学が合わさった形です。そのため、これがとてつもなく力が強かったのです。そのためにみんなが社会進化論を受け入れたのですが、受け入れてからどうなりました?朝鮮が食われるのが当たり前なのです。ファンヒョン(黄玹)先生が書かれた文の中に、とても息の詰まる題目が出てきます。進化論に陥った朝鮮の知識人が感じる感情がとても端的に表れているのですが、「国を奪われたのは私たちが力がないのだから当然のことだ。なのにどうしてこうも悲しいのか」という文です。当然のことなのになぜこうも悲しいのかと嘆息します。このように、当時は社会進化論を克服できなかった段階であり、それを克服していく過程でアナーキズムを受け入れたり、社会主義も受け入れたりしましたが、アナーキズムを除くと殆どがとても軍事主義的な性格を帯びています。

このようにイデオロギー的な面で軍事主義を強調するのにはいろんな理由があり得ます。軍事主義と武力を崇拝しのかもしれませんが。私はパクノジャ先生に比べて、シンチェホやパクウンシキ先生にもう少し点数をあげているほうです。今はあんなふうにまばゆい古代史を掲げることがあり得ないと考えますが、当時は帝国主義侵略に対抗する第一線にいたためそうしたわけなので、その方々に進歩的な性格を与えたいと思うのです。それを忘れてシンチェホの古代史を読むのは危険です。なぜなら「お前らは歴史的に見て日本に倂合されるのが自然だ。歴史的にたったの一度も完璧に自主的な国家を建てたことがないではないか」という日本の主張に対抗して戦った末に、シンチェホも相手と似てきて「おい、中国周辺にいろんな王朝があったが、その中で輪遞天子ができなかったのは朝鮮民族しかないじゃないか。天子と称すること、それをやれなかった民族は私たちしかいないじゃないか」と話したりもしたわけです。少なくともそれが当時、帝国主義が植民地の民族を抑圧する共通の方式でした。

独立運動をできなくするもっとも効果的な方法は何だと思います?独立運動家を捕まえて閉じ込めることも手ですが、「私たちは絶対に独立できない。どうせ烏合の衆なのさ」という敗北意識を抱かせるのが一番でした。その敗北意識に立ち向かうために古代史を誇張させるという民族運動上の必要性があっただろうと思います。

1960年代のアメリカへ行って黒人民権運動を見ますと、そこでとても重要なフレーズが「黒いものが美しい(Black is beautiful)」です。黒ければ美しいんでしょうか?それはまあ観点の違いかもしれません。しかしなぜ、1960年代の黒人たちが、黒いのが美しいと主張したでしょう?当時、黒人たちには自己卑下が強く内面化していました。それを正すために「黒いものが美しい」と言う必要があったわけで、もし多民族国家にて黒人が政権を握ってそのように話せば、それは悪夢でしょうね。(聴衆笑)ゲルマン民族を見てください。たとえばドイツがフランス植民地になっている状況で「アリアンたちはこのように美しい」と話したなら民族主義的に正当性があるのですが、ヒットラーが第3帝国を建てたあとにそう主張すればどうなります?日本がそのように推し進めればどうなります?

今の複雑な韓国の状況を考えてみましょう。一方では南北が分断されている状況なので、統一のために民族主義的な談論を形成してそれを動員する必要性があります。また一方では、韓国社会は急激に多民族社会化しています。まずとてつもなく多い移住労働者たちが入ってきており、2005年1年の間、ベトナムお嫁さんたちが4700名も入ってきて、混血問題が本格的に生じ始めています。韓国社会はすごい混血社会へ向かいつつあり、たぶん光復70周年の一番重要なテーマはこの混血問題だろうと思います。

このような状況で、朝鮮民族は昔から知恵があるとかなんとか話すのと、金日成が、そして満州で独立運動していた志士たちが、国を奪われ満州へ追い出されてきた農民たちに私たちは昔から知恵に富んだ誇らしい民族だったと話すのは、文面だけを見れば同じ話のように見えますが、歴史的脈絡の中に入っていくと、まるで違う話になるのです。

韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(4/7)

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