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韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(4/7) 2010.05.19

民族主義の逆説

お話を聞きながら一つ思い出したことがあります。たとえば今、イラクが独立戦争中ですが、イラク独立軍たちがバビロン文化の偉大性だとかヨーロッパ十字軍の略奪を防いだサラディンの軍事的成果を称える宣伝物などを作り、メソポタミアの歴史やアラブ民族の歴史から見て自分たちは白人帝国主義者の奴隷になれないと話すならば、私たちとしてはそれをひとまず当然のことだと受け入れるしかないはずです。易地思之して、私たちが満州で独立運動をしていた過去を考えるなら今イラクで米帝国の軍隊と戦っているイラク独立軍の位置もたぶん同等と見なすべきだと思うのですが、その方々の宣伝の中に、たとえばアラブ民族がサラディンの頃に十字軍と戦った過去を懐古するとか、復古主義的で軍事主義的な部分が入っているとしても米帝国主義と戦う過程でそのような部分が不可避だと考えるしかないはずです。

ただ、先ほど私はその考えが浮かんだとき、これは本当に私たちが経験している矛盾だと思うのですが、今韓国内では、とても遅すぎる感はありますが親日問題を清算すると身を乗り出したノムヒョン(盧武鉉)大統領が、また一方では過去の親日派とあまり変わらない姿で帝国主義戦争に軍隊を送っているので、はたしてこれから自分自身をどう清算するのか気になります。(聴衆笑)あとで50年か100年後に親日派及び親米派を一緒に清算するときにこのようなことも該当するのではないかという気がするのですが、本当に矛盾であるのはたしかです。また一つは満州でキムイルソンのような者たちが独立戦争をするときの民族主義を「抵抗的」だと肯定的に見ることができたと思いますが、キムイルソンが平壌で権力を握り独裁者になってからは一時「抵抗」の談論だった彼の民族主義がそのまま民衆を抑圧的に動員するイデオロギーになったではありませんか?力学関係の変化によって昨日の抵抗道具が今日の抑圧道具に変わることが民族主義の逆説です。

今、イラクのような場合にも、もしイラクの独立軍が米軍を追いだすなら、以降その中ではたして宗派問題や少数者問題らがまともに処理されるはずなのか、バビロンとサラディンの頃に十字軍と戦った過去を称える人々がヘゲモニーを握れば、はたしてその少数者たちに寛容を示すことができるのかという考えが浮かぶのです。そのような面で、1930年代の共産主義者たちのように日帝に立ち向かいながらも民族主義に陥らないまま戦うのが最上の策ではないかと思えるのです。

1930年代の朝鮮の共産主義者たちのことを考えると、私たちがよく知らない事実ですが、朝鮮内で日本人共産主義者たちと手を結び一緒に闘争したりもしました。京城の有名な共産主義者のイジェユ(李載裕)先生が隠れた場所が京城帝国大学校の三宅教授の家ではありませんでしたか。実際にすでに1910年代から日本人労働者と朝鮮人労働者が一緒にストを行う場合もあったし、1930年代には日本人共産党員たちが朝鮮内ストを主導する場合もたびたびありました。当時の朝鮮共産主義者たちの宣伝を見れば日本と日帝を正確に区分します。決して日本と戦うのではなく、日帝と戦っていました。最近1930年代の共産主義運動の話を感動的に読んでいるのですが、私たちも彼らのように日本と日帝、またたとえば米国と米帝国主義という区分法を正確に磨ければどれだけいいでしょうか。

その区分は1980年代に韓国で反米運動が始まるときから「私たちは米国に反対するのではない。米国は私たちにとって学ぶべきところが多く、長所を多く持った国だ。私たちは米国の帝国主義的で覇権主義的な外交政策、侵略政策、軍事政策を反対しているのだ」という論理がありました。実際の闘争でその部分を正確に形作っていくべきなのですが、現場ではそれが守られるのが難しい部分が多かったのでしょう。それと1930年代の共産主義者たちの話をされましたが、その時期の共産主義者たちの国際主義的な性格を話すには舞台を朝鮮半島内から探すよりは日本や中国またはロシアへ広めてみるのがよりマシだと思いますね。1930年代後半、1940年代初頭頃へいくと日本共産党員の60パーセントが朝鮮の人です。

全世界共産主義運動がすべて国際主義を標榜しましたが、韓国と日本は植民宗主国と植民地という関係ではありませんか?にもかかわらず日本共産主義者たち、また日本労働者たちの中で朝鮮に来て朝鮮の民族解放のために朝鮮の人々と一緒に戦った友も多かったのです。しかし全世界の他の国々と比べてみると、たとえばフランスのアルジェリ―、フランスとベトナムの関係などと比較して、植民宗主国の共産主義者たちから韓国のように助けを少なく受けた国もなければ、韓国のように植民宗主国へ行ってその国の共産主義者運動や労働運動で重要な役割をした民族もありません。満州へ行けば吉林省の抗日烈士が2800名ほどいますが、その中で2700名が朝鮮族です。少なくとも中国で東北3省、特に東北3省の中でも吉林省のほうで繰り広げられた抗日運動は、朝鮮の人々が全部やったとは言えませんけれど、とても重要な役割をしたのです。初期の朝中関係で北朝鮮はとても力が弱く、また韓国戦争でマッカーサーが来て南韓を助けてくれたように中国軍が介入しなければ政権が崩壊していたでしょう。

したがって私たちの韓米関係を考えれば、以北がとてつもなく中国にへつらうべきだったはずですが、ああも耐えていられた動力は中国革命過程で朝鮮の人が流した血がどれだけなのかという状況認識が前提となっていからだと思います。それほど1930年代には国際主義的伝統がすごかったのです。私がいま映画作りに少しだけ関係していますが、《アリラン》のキムサンのような人を見ればすさまじい民族主義者ですが人生そのものが国際主義ではありませんか?またキムイルソン、筆舌に尽くしがたい民族史上主義者なのに、中国革命で命を賭して戦っているでしょう?当時は、力の弱い人々が民族主義者であると同時に国際主義者になったのです。しかし問題は国際共産主義運動の歴史の中で民族主義者でありながら共産主義者でいられる権利を与えられたのは、ロシアの人々しかいないという点です。

韓国が今はだいぶ国際化されていますが、私が幼年期を送った1960年代、1970年代を考えると韓国は島でした。私たちは半島国家ではなく島でした。それも完全に四方が塞がれた島だったのです。しかも日本の人々に下手に接すればどうなります?間諜(北朝鮮が送ったスパイ)になります。朝総連、日本の人に会ったために間諜だとされた人々が多いので、学生運動をするときに先輩たちから「日本の人や在日僑胞には近寄るな。危ない。その人々が危ないからじゃなくて、とにかく思いもしなかった最悪があり得る」と教育まで受けたのです。しかも当時、私たちは外国へ行くことも不可能でした。そんな事情によって国際的な連帯感みたいなものが劣ってしまったのが残念ですが、実は1930年代は連帯をたくさんしたのです。

なぜそんなに連帯をたくさんしたのか?もともと力のあるやつが、何が惜しくて連帯をするでしょうか。力がないから寂しいやつらは顔を合わせるだけで嬉しいんですよ。(聴衆笑)足りない力を互いで補うためです。しかも、無力な人々が互いになんとなく「とにかく助けてくれ」と言ったところで助けてやれますか。困ったときはお互い様であるから、中国や日本が朝鮮の革命に寄与してくれることを望みながら私たちも中国革命に、または日本革命に命を捧げる、とても自然な連帯がなされたのでした。

私が話題を少し変える必要がありそうです。さっき満州で行った独立戦争についておっしゃいましたね。いうなればその戦争は両方どちらからも「国際戦争」だと見ることができました。おっしゃったように、一方では大多数の朝鮮人抗日烈士たちが中国人同士たちと一緒に戦ったのであり、また一方では日本軍が弾圧したのです。もちろん日本軍の中に、もちろん少数ですが朝鮮の親日分子もかなり配置されていたのですが、その中で、後に大韓民国の核心勢力を自称する人々もかなりまぎれていました。高木正雄から始まり、私たちがよく知っているチョンイルグォン(丁一權)、ペクソンヨプ(白善)などがおり、韓国という国が作った歴史、国史の父親だといえるイソングン(李瑄根)などが、軍隊にはいませんでしたが中国人労働者と農民を搾取する農場で熱心に管理人をしていました。

その中で高木正雄についての評価を見ると、何か自己矛盾的な性格を帯びている気がします。私は前回、日本と野球試合で負けて、市民たちがどれほど残念がっているかを実感しました。市内に出ていましたが、私たちが負けたのだなという嘆息を全身で感じることができましたね。ところで問題は私たちの国の人々が歴史的な経験のうえに学校だとか言論から自分なりに受け入れる部分もあるために、あれほど反日情緒が強い反面、最近、高木正雄の過去について知らない人がいないはずなのに、えらく人気が高いんですよね。(聴衆笑)1990年代後半に初めて人間複製の話が出てきたとき、学生たちに一番複製されることを望む人は誰かと言う質問を投げるたびに1位が誰でした?みなさん覚えておられるはずです。最近も《朝鮮日報》で一番立派な大統領を問えばもちろんそうなりますが。(聴衆笑)あえて《朝鮮日報》を挙げなくても、高木正雄は死んでからも自分の地盤を繰り返し拡張していく幽霊政治の奇跡を見せてくれますが、それをはたしてどう説明するべきかについて、本当に悩みどころですし、ただいろんな考えが浮かぶのです。

一つは、たとえば韓国資本主義が高速で成長したときは、体制にしっかり編入されて自己の個人的なすべてを否定して、ひとまずお腹をすかさずに裕福に生きればいいという目的を決めたとすれば、身分上昇の機会が今に比べて少々多かったと言うことが事実です。市場が大きくなり、官の主導の下で財閥たちがその身を膨らませていき、ひとまず襲職する機会が生じ続ける、そのような雰囲気が1960年代から1970年代までの特色でした。

ところで今日日のような新自由主義経済の場合は、すでに両極化がひどくなり結局、世襲階級があるわけではありませんが貧富がほとんど世襲される、そのような社会になります。それで、小川で龍が出るどころか、大きな魚も出てこない最近のような社会では、ひもじい人々が拡張と成長の時期を懐かしむ心理を持つ一方、とりあえず制度的な民主主義と新自由主義が巧妙に重なって見えるので新自由主義の悪いところをすなわち民主主義の悪いところだと誤解して独裁時期を懐かしむ、大衆的なファシスト的心理もあり得ます。また、私たちが学校や言論を通じて注入される民族主義と近代化の父というパクチョンヒのイメージが上手く符合して、こんなに人気を享受するのかもしれません。どうなっているのかお話をお願い申し上げます。私たちがこれほどの反日情緒を持ちながら高木正雄をここまで崇拝する理由はなんです?

パクチョンヒはとてもいろんな面から、本当に複雑に評価すべき人物です。なぜならパクチョンヒが韓国を18年間治めたでしょう。ノムヒョン大統領が、自分は旧時代の最後の大統領、つまり帝王的大統領を克服しようとしていると話しましたが、それもすべてパクチョンヒ時代に作られたもので、とても複雑な側面を持っているのです。その中で、反日情緒、そして民族主義と関連付けて話してみるとしましょう。

アメリカで勉強していたころ、アメリカの学生たちと論争したことがあるのですが、私は当然、パクチョンヒを親日派だと話したんですね。そしたらアメリカの学生たちが、何を言っている、パクチョンヒのような民族主義者がほかにいるものかと話すのです。考えてみるとその友達たちの話も一理があります。なぜなら南米と比べてみた場合、南米のような場所は民族意識がきわめて弱いでしょう。ところが韓国はパクチョンヒがある意味民族主義者であり、パクチョンヒのときに民族教育がとても多くなされ、パクチョンヒがイスンシン(李舜臣)を崇拝したのもよくご存じですよね。イスンシン将軍の銅像って、パクチョンヒが韓日修交記念に作っておいたものなんです。(聴衆笑)韓日修交が売国外交で屈辱外交だという非難が自分に注がれると、自分が民族意識を持っているという象徴としてイスンシン将軍を掲げ、牙山顕忠祠を聖域化する一連の作業をしていきました。このようにパクチョンヒは二重的な性格を持っています。親日的な性格と民族主義的性格が共存するのです。ところでパクチョンヒの親日派行為を話すときに日本軍中尉だったことが多く話題になりますが、私が考えるに日本軍中尉は、解放直後を基準とした場合、反省文を書くならチャラにできる程度です。なぜなら、当時は本当に殴り殺されても文句を言えないことをした親日派たちがとても多かったからです。

パクチョンヒがどんな親日派だったかと言いますと、私がある文にも書きましたが、パクチョンヒは準備された親日派です。(聴衆笑)しかしながら不幸な親日派なんです。なぜなら、日帝時代に皇国臣民を育てる大邱師範学校に一生懸命通い、文科のほうの親日派教育をとてもしっかり受け、それだけでは物足りず、満州国へ渡り軍官学校を出て日本陸士を出たので、それこそ文武を兼備して親日派教育を受けたのです。皇国臣民の教育を受け準備運動をすべて終え、あとは出世するだけだったのに、よりによって日本がいきなり降伏してしまったわけです。(聴衆笑)なんと不幸なことでしょう。それでパクチョンヒは、日帝時代に真剣に準備した親日の抱負を広げることができなかった人物であり、解放直後を基準で考えれば特筆すべき親日派ではありませんでしたが、政権を握り大統領になった後から、準備された親日派の思考方式、特に満州国をモデルとしたあの思考方式に忠実に従います。

パクチョンヒの親日はむしろ解放以降に目立って表れますが、その部分を注意深く調べてみるべきです。具体的に話したくもないのですが、それからパクチョンヒは統治において日本をモデルとしており、実際に対日関係でも兄弟ごっこをするような関係に入りました。それと同時にパクチョンヒが進めたことが、1930年代に日本軍国主義者たちが持っていた日本民族主義、膨張主義、それに日本内でも独特な位置にある満州式の改革的な性格を私たちの国にそのまま当てはめたのです。対象を日本から韓国に変えて。

結局、パクチョンヒは親日派であると同時に、主観的には民族主義者です。主観的には愛国者でない人がどこにいるでしょう。したがってパクチョンヒの主観的民族主義はきわめて日本的な性格を持ちますが、反日コードに当てはめても一定の稼働率を見せるのです。それと同時に近代化イメージと結合し、民族主義的英雄像に近いものが作られ、それが若い世代らに少なからずアピールした部分があり得たと思われます。

先ほどパクチョンヒが日本という立て札をそのまま韓国という立て札に変えて、日本の軍国主義を複製した姿を見せてくれていると話されましたが、実際にはどんな例が挙げられるでしょうか?

代表的なものは、明治維新をかたどって10月維新を発表したことがあります。パクチョンヒとキムゾンピル(金鍾泌)が日本へ行って昔の陸軍士官学校の先生に会って話したことが、自分たちは明治維新の志士になりたい。という話でした。

そのような話を必ずしも日本人にだけ話したわけじゃなくて、初期に書いた《国家と革命と私》のような本を見れば、本人が堂々と話しているんです。(聴衆笑)また、当時の韓国はそのような話を聞いてもあまり驚かない雰囲気だったということを、記憶してくださることを願います。

その親日清算というものは、今の基準の親日清算ではないのです。実は30代、40代の場合は、本人が親日をしたくてもできない時期に生まれた人々ではありませんか?なのに1940年代や1950年代に親日問題を扱った人々は、実は自分自身の体の中に日本的な匂いがとてもたくさん漂っているしかないわけです。そのために親日派を処断するとしても今より寛大になるしかなく、今のように繊細に接近できない部分があったと思います。

パクチョンヒが日本から複製したいろんな部分があるのですが、彼は私たちが日本を考えるときに一番不愉快に思う靖国をかたどり、1965年にそれに相応する国立墓地を作りました。私たちは誰かが靖国へ行って参拝したという話を聞いただけで、私たちを挑発したと考えます。小泉が靖国を参拝すれば、戦争に連れていかれ不幸に死んだ朝鮮人たちの位牌が、遺族たちの反対にもかかわらず共に祭られているので、結局彼らにも参拝したようなことになり、とにかく私たちにとっては挑発でありとても不愉快な事件になるのです。見ようによっては、国家が二重犯罪を犯しているのが、このような靖国神社のようなものではないかと思われます。

二重犯罪とはなんでしょうか?本人の意志となんの関係なく人をつれていって戦場へ銃弾受けをさせに送って死なせておいて、その人を偉大な英雄だと言いながらその位牌を奉安し「私たちの国を守るためにこの人が散華した」と話すことです。人を殺すことを強いておいてその人を国家の神であり国家を守る護国英霊だと英雄化し、そうすることで支配階級のためになる民族主義をけしかけ、結局は軍事主義的民族主義へ、私たちすべての階級意識を未然に封鎖する過程を経て同質化させるのではありませんか。そのような面で、靖国神社のような施設を二重的犯罪の場所だと見ることができます。したがって私たちは靖国参拝について当然とても否定的な反応を見せるしかないのでしょう。

しかし、たとえばベトナムの人の立場で、韓国大統領が国立墓地へ行って参拝するのはどうなんでしょう?(聴衆笑)国立墓地にいろんな人々が埋まれていますが、その中にはベトナムへ行って米帝国の侵略の共犯になった人々も埋められています。もちろん率先して共犯になったのではなく、あくまでもパクチョンヒが率いる国家が送った状況なので微妙なところですが、とにもかくにもベトナムの人の立場では帝国主義侵略の従犯だったのです。帝国主義侵略に同調し、一緒にその侵略の側に立った人々、ひょっとするとベトナム独立運動の烈士たちを殺したかもしれない人々が埋められている国立墓地へ韓国大統領が行って参拝するなら不快感を感じないでしょうか?もちろんベトナムのおゆな場合は米帝国に侵略されたとき400万名が死んだ国ですし、その中で韓国軍が殺した人はそこまで多い比率を埋めてはいないはずで、そのようなところをいちいち気にしていられないかもしれません。とにかく、実は国立墓地を見れば、ちょっと妙な性格がある気がします。パクチョンヒも国立墓地に埋められているんですよね?(聴衆笑)

はい、そうですとも。

面白いことは、国立墓地に埋められている人々の中に、パクチョンヒがいる一方、パクチョンヒの後継者チョンドゥファンが率いるクーデターのときに犠牲になった軍人たちも埋められています。政治軍人のクーデターを止めようとして死んだ人が軍部政治の『元祖』と一緒に国立墓地に埋められているのです。(聴衆笑)国家は英雄化作業において好き嫌いをする必要がなく、ひとまず護国英霊にできるものならば、いろんな素材を発掘するために力を注ぎます。国家の偉大性を知らしめ、民を愚民化させるために熱心に働くのです。

靖国と国立墓地を同一線上で比較することは少し問題があると思います。なぜならば、国立墓地はそれこそ国立墓地でえ、靖国は民間施設です。民間施設であるからこそより極悪に運営できるのです。たとえば国家が作った施設ならああいうふうに珍しい形にはできません。行ってみた方々もおられると思いますが、靖国は神社という空間があって、ノムヒョン大統領が一度行ってみたいと話して波紋を起こしたことがある遊就館という日本版戦争記念館もあります。戦争で死んだ人々を一定の空間に集めておいて追悼する施設を持つこと自体は他人が口を出しがたい部分かもしれません。もし戦争で兄弟や父が死んだとすれば、どれだけ悲しいことでしょうか。その悲しい気持ちで死んだ人を祭ることは自然なことです。特に若い軍人の場合には子供がいませんでしょう。それを誰かが集めて管理してやる必要性があるため、そのような施設を作ること自体は人道的な面で、責めるのは難しい部分がたしかに存在します。

靖国がなぜ本当に問題かと言いますと、その追悼する気持ちが正常的なものではありません。靖国は死んだ人に対して悲しみと喪失感を感じる空間ではないのです。栄光を感じる空間です。なぜなら祖国のために死んでおり、それで神になったからです。それをなぜ集めておくのでしょうか?私が題名を忘れてしまいましたが、日本の軍歌の中に靖国に関する有名な歌があります。この歌で、せめて夢の中で母のもとへ帰ってこいと歌っています。とても象徴的ではありませんか?死んでも自分が育った故郷と母のもとへ戻ってくるのではなく、死んだのに国家が招集し続けているのです。(聴衆笑)靖国はそのような空間です。
戦争へ出て死ぬことをなんと呼びますか?たとえば意味のない戦争で死ねば犬死だといいますが、どんな戦争かもしれない戦争へ行って死ねばそれこそ犬死ではありませんか。ベトナムが私たちとなんの関係があってそこへ行って死んだのかと問われると、それも犬死だと見ることができるのです。龍山戦争記念館へ行けば米軍戦死者名簿を陳列して「そこがどこかもしれず誰かもしれない土地と人々のために戦って死んだ人々を我々は記憶する」という内容が書かれた札が貼られていますが、アメリカの人々に送るメッセージなんですね。犬死だと考えないように、私たちの国家はあなたたちを記憶する。そしてあなたたちの死は誉れ高いものだと言って、むしろ喜ぶべきものだと注入するのです。なぜそう話す必要がありますか?次の戦争を準備するためです。

靖国は宗教施設ではありません。靖国は私が見るには軍事施設です。実際に日本で戦争が終わる前まで隊長が靖国神社の責任者でした。軍部隊です。軍事施設です。そして靖国神社を置いた理由そのものが次の戦争を準備するためです。そのような目的が国立墓地にも一定部分入っており、すべての国の国立墓地に同様に入っています。戦争へ出て犬死したのではないという意識を抱かせるためにする作業がなんです?アメリカが大金をはたいて繰り広げる仕事が、『プライベート・ライアン』の神話だけでなく死んだライアン一兵も救うこと、(聴衆笑)再び掘ってくるという神話を続けていくということです。国立墓地を作ることは近代国家の属性であるのでそれをなくせと言ったところで無くなるとは思えません。

最近は新自由主義云々することが多いので、その表現を一度パクって使ってみるとしましょう。グローバルスタンダードはアメリカンスタンダードです。アメリカが決めればそれが国際スタンダードなのですが、アメリカの国立墓地と韓国の国立墓地を比較してみませんか。パクチョンヒの墓域が何坪かといいますと300坪です。ところで一般兵は0.8坪です。将軍は8坪です。0.8坪と8坪の違いが何なのかわかりますか?なぜ10倍の差を空けたのか?0.8坪に人を埋蔵できるでしょうか?立たせて埋蔵するならできるでしょう。しかし立たせて埋蔵はできないので、一般兵は火葬を行い、将軍墓域は埋蔵をするのです。

ところがアメリカの国立墓地はどうか?私たちと同じくケネディのような大統領も埋められています。ならばどのような方式で寝かすのかが問題ですが、大統領と兵士たちが0.8坪程度で埋められることで同じ扱いを受けます。そのような面で見れば、韓国の国立墓地はとても封建的な性格を帯びているのです。また、この空間はとてもはっきりと矛盾的な性格を見せてくれます。さっき国立墓地にパクチョンヒも埋まっているが、彼がクーデターを起こすと漢江の橋の上で交戦を行った憲兵も埋められているとおっしゃれましたが、本当に劇的な部分はなんだと思われますか?光州5・18墓域が国立墓地になったでしょう。ところが銅雀洞の28墓域か29墓域へ行きます「1980年5月20日光州にて戦死」と書かれた方々がいます。そのような方々ももちろん国立墓地に置くべきです。ですが、国立墓地が持っている矛盾的な性格がとてもはっきりと表れる部分ではないかと思います。

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