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韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(5/7) 2010.05.20

私たちの歴史への接し方

望ましくない右派たちについて話をかなりたくさんした気がします。私たちがパクチョンヒ(朴正煕)を右派だと考えますが、単純に右派というよりは日本を反対模倣したからか日本的な方法で、特に経済的な成果を早く上げようとした亜流的性格の右派だと見ることができます。鳥は二つの翼で飛んでいくと言うように、正常的な社会では左派も左派らしくあり、右派も右派らしくあるべきです。たぶん左派が左派らしければ、さっきハンホング先生がおっしゃったように1930年代の共産主義者たちのように連帯精神の強い望ましい左派になれるのではないかと思います。

ならば望ましい右派というものがはたしてなんなのか?互いの価値を比較し人々を説得しながら一緒に率いていくことができそうだと思える、そのような右派がはたしてなんなのかということです。普通、望ましい右派が誰かといえば、特に歴史学のほうにおられる方々がペクポム(白凡)キムグ(金九)先生を考えるだろうと思います。反面、歴史を専攻される方でなければ少々当惑される方々もおられるかもしれません。キムグ先生を進歩的な人物だと見ている方々がかなり多くおられるようですから。違いますか?

とにもかくにも、キムグ先生の理念的性格だとか政治路線を見てみますと、よくご存じでしょうが、かなり起伏に富んだ道を歩んでこられた方です。幼いころは東学に加担したが、アンジュングン(安重根)の家族と知り合います。当時、東学を鎮圧しながらあまり大きい血戦を繰り広げなかった人が、アンジュングンの父親だったではありませんか。東学教徒になって結局監獄に入り、出てからは基督教のほうに近くなり、それから基督教のほうとかなり近しい開化派になりました。開化派として活動しながらも1900年代末期のほかの開化派たちと同様に近代的市民主義へと進むことができず、人々に当時、もうほとんど力がなかった皇帝陛下、つまり高宗や純宗を国家の元首として称え皇帝と国家に対する忠誠心を鼓吹する、そういう開化派になります。よく御存じでしょうけど日帝時代に中国へ渡っていき独立運動をし、あとで祖国に戻ってきて、最初は北朝鮮をとても否定的に見て、キムイルソン(金日成)にテロを加えようとまでしますが、結局は南北共同会談など、分断を止めてみようとするいろんな絶望的な試みをした末になくなられた方です。

とても起伏に富んでいるではありませんか?東学教徒で出発し、キリスト教人になったり、仇を殺すなと言う戒律を守る自信がないからとキリスト教を捨てます。(聴衆笑)実際に本人が記録された内容です。また、中国で独立運動をされるときは、たしかに当時としてはその活動が進歩的な性格を持っていたのですが、実際にキムグの独立運動を支援したのは中国国民党です。たぶんハンホング先生がよくご存じだろうと思いますが、蔣介石の国民党の中でも「藍衣社」という団体です。藍衣社というのは英語で「ブルーシャツ(blue shirts)」という表現を使ったりもしましたが、国民党の中でムソリーニとヒットラーを特別に崇拝する、一種の中国型ファシストに近いそんな団体だったのですが、実際にキムグ系統の居士らを財政的な面やいろんな面で助けてあげたのがその団体ではないだろうかと思います。それから分断されていく祖国で、最初は以北の共産集団をとても嫌悪されたのが、その後は何が何でも分断を止めてみようと努力して亡くなられた方ですが、この方をどう見るべきなのです?

人がどう死ぬかが本当に重要だと思います。ペクポム先生のような場合、たぶん最後の1年がなければ、今のペクポムへの評価はさっぱり違うはずです。とにかく、いまになって考えると幸いに思えるのは、韓国の屈曲の多い現代史でペクポムのような方すらいなければ、本当にどうすればよかっただろうと考えてしまうほどです。少し笑えるように話すなら、政治人たちの模範答案に、自分が尊敬する人物で書く人がいなくてどうすればよかったのかと表現することもできます。(聴衆笑)イスンマンやパクチョンヒを書いたら完全に守旧の石頭だと思われるし、だからといってムンイクファン(文益煥)やハムソクホン(咸錫憲)を書くのは気が引けるし、そんなところでペクポムやチャンジュナ(張俊河)先生がおられなければどうなったでしょう?チャンジュナ先生のような方も、実は振り返ってみると族(朝鮮民族青年団の通称)といって、ペクポムが極右的な性格がとても強いときに作った団体出身です。アメリカの資金をもらって刊行された初期《思想界》のような場合、親米反共的な性格がとてもはっきりしていました。私はこの方々の立派な点は、自分自身を変化させつづけ、発展させていった点だと思うのです。

ペクポムが発展させていった新しい像をざっと見ると変化無双で起伏がひどいように見えますが、ひたすら、どちらへ行くのが朝鮮の独立と朝鮮民族の解放を成し遂げられるかという基準によって、自分自身を絶え間なく変化させました。このように、一か所に留まっていなかったという点においてペクポムが象徴性を持つのであり、特にペクポムが残した最後の文にどれだけ重きを置くべきかわかりませんが「私が愛する国は、私が望む大韓民国は」という文で、富国強兵路線ではなく文化と国際主義的な連帯、そのようなところに対して希望を見だしているんですね。

たとえば詩人キムスヨン(金洙暎)が最後の詩の<プル(草)>を書かないで死んだ場合、もちろんそれでも神話は生じたと思いますが、その神話で最高の輝きを発する<草>がないのとあるのとではどれだけ違ったでしょうか?私はペクポムのこともこう考えます。1945年度に独立運動をされた方々を理念的に測ってざっと一列に並ばせるとペクポムが一番右の端っこです。一番右側の端っこに行っておられる方なんですが、にもかかわらず、当時の臨時政府の綱領というものは、今の民主労働党の綱領よりずっと左側です。重要産業の国有化、土地の国有化、8時間労働制、ストの自由、無償教育、無償治療などを主張したので、今の新自由主義のノムヒョン政権に対して社会主義だと言っている人々の立場からすれば憤死するところです。(聴衆笑)それはイスンマン(李承晩)だって同じです。帰宅されたら制憲憲法の経済条項なんかを一度探してみてください。どれだけ反市場的か。大韓民国が立てる経済に対し、どれだけ反市場的な、市場を徹底的に規制すべきだという計画を持っていたのか。

とにかくペクポムは私たちの独立運動路線内で、一番右側の端におられる方です。そして解放直後には、わかりやすく必死でした。見境なしでした。政権が目の前でゆらゆらしていたので。それでその戦いにすべてを賭けて、そこで極右派の票も得る必要があるので決死隊を送ってキムイルソンにテロもしたり、北朝鮮に政治工作隊やテロ工作隊も送り、南側では親日派と手を結び金をもらったりもしましたが、結局、「あ、このままいけば国が本当に真っ二つになってしまう」と思い、考えを変えたのではありませんか?変えられるその心、その能力、それが重要だと思うのです。しかも、そうやって変えたために殺されたのです。このような意味から見れば、私はペクポム自身が理念的に進歩的な人物ではなかったと考えます。しかし、たしかに歴史の要所要所でとても進歩的な役割をしたと見ています。

では素晴らしい嘘作りについての約束で、嘘についての話を終えようと思います。結局、私たちが歴史を接するチャンネルは実は二つです。史劇(歴史ドラマ)と教科書。私たちに史劇は作れないのでそこからは手を離すとして、未来の教科書を作ることには私たちが貢献すべき部分があるだろうと思います。ほかでもなく、歴史はすべてウソだという話がありますが、歴史は結局、過去の事柄を私たちが再構成して談論化することなので、その過程で、当然作る人の主観が介入します。保守であれ進歩であれ、あくまでも語る人の権力が歴史を叙述するにおいて発揮されるしかない、そんな性質がありますが、問題は、はたしてその権力を何のために発揮するかです。日本の極右派が靖国を利用してその次の戦争のために若い世代を用意させるなら、それはたしかに権力の濫用になります。

たとえば、これから社会者の方が、お前は家事はちゃんとやっているのかと聞かなくてもいい国、すなわち男性たちが家事を女性と同じくしっかり分担してやるために、わざわざそのような点検をしなくてもいい国を作るには、歴史教科書も少し変えられるべきではないかと思うんです。そのためには歴史教科書内での女性の位置がはっきりと格上げされるべきです。今の歴史教科書を見れば、先にした話もありますが未だに戦争の色、すなわち国防色が濃く、実際に歴史の中に現れる人々がほとんど男性一色ではありませんか。教科書で見つけられる女性はあまりにも少ないのです。他人たちの、それも否定的な他人たちの犠牲になったユグァンスン(柳寛順)が民族主義的談論と離れがたい関係を結んで現れるか、それとも矮将を抱きしめて飛び降りたというノンゲ(論介)のように、実際に壬辰倭乱当時の記録ではまったく見かけなかったものが17世紀初頭にユモンイン(柳夢寅)先生が書いた内容が少し脚色されて英雄として現れる程度です。残念ながらその程度でして、私たちが家事をちゃんとやっているのかと疑らなくていい国家を作るために、はたして教科書の中に女性や障害者、外部から帰服した人々をどんなふうに登場させるのが良いのか、教科書をどんなモデルで書くのが良いのか、そんなことを一度お尋ねしたいと思います。後で教科書を書かれる仕事を請けられるかもしれませんし。

実は前に教科書を書いてくれと提案を受けたことがあるのですが逃げました。7次教科課程が変わったことで近現代史が入るので、執筆を受け持ってくれと言われたのですが、どう考えても教科書は絶対に面白い歴史になれないし、また、私が書きたいように書いてしまえば、パクノジャ先生のような方を審査委員でお呼びしないかぎりは必ず脱落するだろうと100パーセント確信したためです。(聴衆笑)私も苦労し、出版社にも損害を与え、書きたいように書けないだろうと思いまして。これから入試問題が解決されれば、一度書いてみることを考えるかもしれませんが、その前まではそのつもりはありません。

少数者問題が歴史の中に含まれるべきだというのはとても当然のことですが、問題は歴史学が少数者問題に関して書く内容をはたしてどれほど持っているかです。たとえば歴史の中で女性たちの姿を見つけて歴史教科書に載せられる水準まで具体化して加工する作業、つまり、歴史論文化させて本にする作業などが蓄積されているべきなのですが、私たちには女性についての歴史がまったくありません。障害者についての歴史もまったくありません。少数者歴史もまったくありません。移民問題も歴史学でまったく扱っていませんでした。それでも女性部分が真っ先に水面上に浮かんだのですが、蓄積されそうなところで1980年代中・後半に女性学を勉強すると志を立てた人々が時代的要請に応えたり、自発的に参加するなどの経由で「日本軍慰安婦問題」のほうに方向を取ってからはまだ微弱な状態です。このように障害者を含むさまざまな少数者集団の歴史を記録するには、未だに足りない部分がとても多いため、歴史のさまざまな側面を見つけ、記録し、復元する作業がまず先行されるべきです。

ですが、これをいつまでも後回しするわけにはいきませんし、これまで成し遂げた成果もたくさんあります。1980年代以降に現代史研究が本格化されており、また1990年代、2000年代に来ては実践的な活動を通じてハンセン病問題だとか、原爆問題などが発掘され始めました。原爆問題のような場合は、実は多くの韓国の人々が、日本が原爆に撃たれたことは自業自得だ。または、原爆のおかげで私たちが解放されたという意識を持っていて、その原爆が落ちたせいで朝鮮の人が一度に3万名ないし7万名をも死んだということは知りません。そのような話が歴史書に出てこないのです。私たちが日本にやられたことは歴史書ににたくさん出てきますが、韓国で反中国的な暴動が起きて中国の人がすごくたくさん殴り殺されたことが歴史的な事実であるというのに、どの歴史書にも記録されていないんです。歴史書には萬寶山事件までしか登場しません。この萬寶山事件が国内に影響を及ぼし、その過程で日帝が少しそそのかしたように見えますが、反中国的な暴動が起きたために中国の人200名が殴り殺され、私たちの国の津々浦々にあるホットック屋からチャンケ屋までもがすべて襲撃を受けました。たぶんホットック屋に火事が起きたという言葉が、そのときにできたのではないかと思うんです。

ところで私たちはこのような部分について記録せず、日本にだけ軍慰安婦問題や民間人虐殺について記録しろと言いますよね。また、ベトナム問題についても私たちは公式的に記録をしないでいます。戦争記念館のような場所へ行けば、ベトナム派兵を国威宣揚や海外進出だと表現しながらとても誇らしく書き連ねることさえしています。私たちが先にこのような部分を直すことが必要ではないかと思われます。

はい。歴史は双方疎通がなされるべきですから。これで私たちの対話を終え、みなさまと一緒に討論を行いたいと思います。ありがとうございました。(聴衆拍手)

韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(6/7)

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