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韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(6/7) 2010.05.21

近現代史の痛み

ちゃんとした歴史観を育てるためには、まず少数者についての資料を見つけてちゃんと記録していくことが先決だという話がもっとも胸に響きました。みなさまはどうお聞きになったのか、質問を通じて疎通してみようと思います。

聴衆1 さっき檀君に関連する話を聞きながら気になるところが生じました。蚩尤天王という存在についてはお二人どちらもどう考えておられるか意見を聞きたいです。

どうでしょう。私は率直に話せば蚩尤天王に信頼が置けません。蚩尤天王がはたして歴史上の神話的存在なのか判明しがたく、はたして私たちの直系祖先としてつながるのかも、本当のところ定かではないのです。歴史学の立場から見れば蚩尤天王そのものについては好奇心がまったく湧きませんし、個人的には、なぜ1980年代以降に韓国で再び国史発掘運動の風が吹いたのかという部分のほうが、むしろ歴史学徒としての探求対象にふさわしいのではないかと思います。そしてたぶん「赤い悪魔」(ブルグンアンマ。韓国チームサポーターズ)側が蚩尤天王を象徴物として掲げたと聞いていますが、私はそれが、さっき最初のときに若干話しましたが、韓国の民族主義がどんな方向へ進むのかを見せてくれる部分だと考えています。2002年ワールドカップのとき、私たち3人のうちに私が一番興奮してた気がしますが、(聴衆笑)そのときは本当に「大~韓民国!」というメロディを聴けば、ただ気分がよくなったし、韓国選手たちもすごくよく頑張ってくれて、また気分がよくなったものです。

ところが今年は大韓民国を応援するメロディや愛国歌を聴けば、少し空恐ろしい気がするのです。蚩尤天王問題もそういうものではないかと思います。だって、6000年前に私たちが大帝国を建て中原を制覇したからって、それがどうしたというのです?(聴衆笑)それなら私たちが日帝の侵略を受けたこと、また、いま現在アメリカとの関係の中で数十年間支配されてきたものが何か変わりますか?実は、ノムヒョンを大統領に選んでおけば、ここまでにはならないだろうという期待を抱いて選んだのですが、韓米自由貿易協定もそうですし、アメリカとの関係が相変わらずなのが現実です。私は私たちが本当に民族自主と自尊心を取り戻すには現実の中でこのような問題をどうやって改善するかを悩み解答を見つけようと努力すべきであって、全人類が帝国を運営するほどの物的土台も持たなかった6000年前に私たち倍達民族が中国全体を支配したというふうにいくのは歴史的な逃避だと考えます。このような逃避が行われたことには、実は私たちの近現代史の痛みがあります。

さっきも話しましたが、解放された後に、分断された状況で少しでも赤みを帯びたほうはすべて消してしまってから見ると、3・1運動以降の独立運動史をまともに書くことができないのです。みなさん《東亜日報》や《朝鮮日報》が日帝時代を代表する史料になるべきなのに、《朝鮮日報》は影印本がそもそも出ておらず、《東亜日報》は1928年までのみ出ました。なぜならそのときが過ぎると赤過ぎて、その次には親日問題のせいで出すことができないのです。《朝鮮日報》も前のほうは赤くて出せず、後ろのほうは恥ずかしくて出せません。今も7次教育過程以降にできた近現代史についてニューライト側から教科書フォーラムだとかなんとかを作ってあらぬ言いがかりをつけていますが、昔に比べると本当によくなったのです。「東北抗日聯軍」の話も出ますし、「普天堡戦闘」の話も出ますし。昔はそんな話を書けませんでした。どうなるかというと、3・1運動が出てから、新幹会のほうでもじもじしてから、その次にユンボンギル(尹奉吉)とイボンチャン(李奉昌)が出てきます。2人の忠道男子が爆弾を投げていなければ、私たちは独立運動史がないのです。そして飛び越して光復軍。このように私たちの祖先たちが日本帝国主義を相手に本当はどう戦ったのかについての話を書けないので、近現代史が侘しく見えるのですね。現実の動きもそうですし。1980年初頭に檀君お爺さんのさらにお爺さんの時代へと何度も逃げていったのです。

私は民族的自主について考える若者たちが、軍隊式表現で変なところでスコップを使う(無駄骨を折る)より、(聴衆笑)本当に私たちが扱うべき自主性の問題をまず検証すべきではないかと考えるんです。さっきパク先生が少し話されていたのが、話題が別のところへ移ってしまって話ができなかったのですが、韓国の右派たちに本当にしたい話はこの話です。そしてさっき司会者の方が私に忙しいだろうと話しましたが、私がなぜ忙しいのかを一度ゆっくり考えてみたら、私がしてまわる仕事の中に進歩的な仕事が一つもなかったんです。実は右派がすべき仕事なのにしなかった仕事、つまり過去清算問題や人権問題、平和問題に関連する仕事のことです。韓国の左派がなぜそんなに複雑で忙しいのか、なぜ過負荷がかかるのかといいますと、韓国にろくな右派がいないからそうなのです。そのために韓国の左派も過労でおかしくなります。(聴衆笑)民族問題、自主問題など現実として存在する問題がたくさんあるのです。むしろそのような問題により穿鑿することが必要ではないかと思われます。

ここに蛇足を一つつけるなら、またこういう部分があります。今の韓国と中国の関係を見ますと、もちろん中国を浮上し始めた新たな帝国主義国家として見る余地もありますが、とりあえず韓国に比べて低賃金地帯だという理由で韓国企業が数多く進出し、もう100万余名の労働者を雇用しています。その労働者らを雇用しながら、あまりよろしくないあらゆる事件が起きたことを、たぶんみなさまもよくご存じのはずです。

10年ぐらい前、天津のある工場で韓国支配人が中国女性労働者に跪いて謝れといって中国言論で騒ぎが起きたことがあります。このようなことで、一時は韓国企業に対する感情が相当悪化しましたが、そのような事件が起きても中国としては韓国企業の投資が切実に必要だったので、中国の幹部階級と韓国大資本の同居関係が今まで続いたのです。私たちが6000年前に中国を治めたと言う話は国がなかったころには進歩的な意味を持てたかもしれないものの、今のような場合には大陸に進出した韓国大企業らが持っている一種の亜流帝国主義的な野望をそうやって伺わせる側面があるので気をつけるべき部分があるのではと思うのです。

パクノジャ先生が本でおっしゃられたことがありますよね。客観的に歴史を叙述するのがどうせ不可能であるなら、比較的もっとも客観的なのは民衆の視覚で見た歴史観だろうと。したがって民族史観より民衆史観をより熱心に勉強してこそ、比較的健康で中立的な史観を持つことができます。ところで客観性というものが必ず事実とはかぎりませんよね?

ハワード・ジンの本の題名でもありますが、「走る列車の上で中立というものはない」と言うではありませんか?どうせ中立に立っている人はこの世にいません。実際、エホバの証人たちが軍隊に行かないことを中立を守ると表現しますが、実際にこの方々が中立を守りたくても南韓の兵営国家と戦う様になるしかないのが現実です。どうせ人間が体を持って生まれる以上、中立というものはありえないものであり、誰もが社会的・経済的位置があり、頭の中にすでに入っている考えなどがあるために、それをすべて脱ぎ捨てて完璧な客観に接近することもできません。なので、この社会から剰余価値を奪われ苦しく生きる側に合わせて何かを書くなら、それが少しはマシではないでしょうか?

聴衆2 大学校を熱心に通っている学生ですけど、今日の講演、とてもありがたく拝聴しました。さっきハンホング先生が少し言及してくださったと思いますが、私は歴史を思い浮かべるとき、一番先に思い浮かぶ単語が日帝です。ところで学校で学んだ日帝に関する歴史を思い浮かべると、当然侵略の問題なので苦しい傷として残る、そのようなことは理解できますが、日本に対する劣等感が学校で歴史を学ぶ過程で自然に生じるようだという考えをしたことがあるんですね。高等学校を卒業して時間が少し経ってもそのコンプレックスに勝つのが簡単じゃありません。それで、そんな教科書が変わって、私が子供を生み、その子が教育を受けるときはそのような感情が生じないままに成長すればいいなと考えます。そのためには日帝時代についての歴史記録が教科書でどのように扱われるべきなのか詳しく聞きたいと思います。

私はその部分が歴史教育だけでできる部分ではないと思います。さっきパクノジャ先生が、ベトナムの人々が韓国の国立墓地に来ればどうだろうかと質問をされましたが、私の考えではベトナムの人々は、私たちが靖国に対して持っている形の怒りは持たないだろうと思うのです。なぜなら彼らは勝ったからです。韓国よりずっと強い世界最強のアメリカに勝ったために勝者としての余裕を持っているのです。私は韓日関係も同様だと考えます。私たちの国力が日本ほどになれば、歴史をありのままに見ることができると思いますが、今の韓国はそうでないために、それができないのです。

歴史を単純に過去の事実として、60年前に支配を受けたという事実それ自体として見たくても、親日派たちは日本のやつらが残していったやり方をそのまま使いながら、相変わらず権力を享受しています。西大門刑務所のような場所へ行けば日本が私たちをどれだけ残忍に扱ったかがすべてわかりますが、本当の問題は歴史をピタっとそこまでしか話さず、実は西大門刑務所での日本のやつらよりさらに悪辣に民衆を抑圧した独裁政権の歴史については完全に口をつぐんでしまうということです。結局、話をしながら生じる嘘もありますが、口をつぐむことで生じてしまう嘘も無視できないほど恐ろしいのです。そのように韓国の歴史は親日派たちに支配され、人権や生存権のような部分が継続的に踏みにじられてきたのです。

そのような現実的な問題がそのまま残っている状態で、しかもこの問題を克服するために民主化運動をしていく過程で歴史をめぐる論争が起きたために、近代化を憎みパクチョンヒを憎み、パクチョンヒを憎むようになった結果、自然とその根である日帝時代を開発の礎が築かれた時代だとして憎むようになり、そうしながら歴史をめぐる論争が絶え間なく繰り広げられるのです。私は日本に関わる歴史で感じるコンプレックスのようなものは、私たちがどれほど民主化を成し遂げ、平和を成し遂げ、今まで成し遂げた経済発展の上に平等と福祉を築き上げ、少数者たちについての人権を盛り込むことができるかによって変わるだろうと考えます。日本に経済力で追いつくには数十年をかけても追いつけない部分が多いではありませんか。私たちが日本に対して何か別の誇れる部分があるなら、それを持って克服できるものであって、教科書だけを直すといって解決することではないと考えています。

しかしこのような点はあります。植民地時代というものは、ある民族が別の民族を治めるという外皮的な形態があるために、自然と植民地時代について被害者側が記録するときは、先ほど申し上げたように日帝と日本を区別することが本当に難しくなります。日帝がこうこうしたと書くべきところを、自然と日本だと書いてしまうのです。私たちが教科書を作るとき、そのような部分を心に留めるべきだと思います。金と財産を持った人、人をこき使う人の立場では、民族はないのです。金の流れにおいて民族の妨げがありますか?たとえばサムスンを作ったイビョンチョル(李秉)が1930年代中盤に馬山にある殖産銀行を訪ねて金を借り、精米所を作る頃に、自分が日帝が韓国から収奪した殖産銀行の金で、まともに食べることもできない農民たちから奪った朝鮮の米を日本へ輸出することに一翼を担いたいと考える余裕があったでしょうか?とりあえず商売をする人は、支配者側と関連を結ぶようになるのが常です。

あの有名な《東亜日報》と高麗大学校を持っている高敞地域の蔚山金氏という地主集団があるでしょう。あそこのキムソンス(金性洙)とキムヨンス(金秊洙)、2人の兄弟を見ますと、1920年代に初めて京城紡織を運営する時は上手く機能しなかったのが、1920年代後半に来てある程度黒字を出し、あとで日本軍隊に納品をすることになり丈夫な企業になりましたが、最初は総督府補助金をかなりたくさんもらいました。納付資本の4分の1程度を総督府から補助してもらい、実際に《東亜日報》は当時の論説で朝鮮資本家たちに補助金をたくさんくれという、とても率直な話まで全部書いて載せていました。資本家の立場では、日本はあくまでも朝鮮の民から収奪した金を解いてくれる、育ててくれる、私有財産を保護してくれる、投機して米を転売して輸出するにおいて市場を貸してくれる、軍需品を納品できる日本軍隊という大きな市場を作ってくれる、ありがたい存在だったのです。

結局、歴史というものは階級の歴史です。それが民衆史観の核心なのですが、日帝のとき日本が私たちを治めたと書くより、日本の支配階級が当時、萌芽期にいた韓国のブルジョア階級を一種のジュニアパートナーに選び育てながら、朝鮮民衆を一緒に搾取したと書けば、もう少し民衆史観に忠実な解釈になるのではないかと思います。当時のジュニアパートナー、それこそが親日派です。

返答になりましたか?ほかの講演と違って一つの質問にお二人が一緒に答えてくださるので、とても豊かな返答になって質問された方々がとても満足されるだろうと信じて疑いません。

韓洪九 × 朴露子 - 韓国史のウソを論争する(7/7)

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