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「親日人名辞典」関係者に聞く。「親日派」とは。「親日清算」とは。 2011.02.21

「親日人名辞典」製作に関わった一人の発言です。
(ラジオの文字起こしをさらに翻訳したものです)


パク・ハンヨン / 民族問題研究所 研究室長 : 広い観点から見ますと、「親日人名辞典」は歴史の報復書ではありません。これはいわば、かつてそのような親日行為があったが、あるいは親日清算ができなかったことにより、当人や親日行為を働いた方々にとって心のしこりができてしまったのです。たとえば、よく知られるパイン・キムドンファン(巴人・金東煥)という詩人がいます。「国境の夜」を書いた、この詩人は、実のところ日帝殖民時期に親日を多く行った方です。そして6.25(韓国戦争)のときに北に拉致されたのです。その後、パイン・キムドンファン誕生100周年を迎えて、ご子息がおられて、父上の記念事業をしたいと思われたのです。ところが、この方が資料を収集して記念事業をしていたとき、父上の親日の事実を知っておられたのです。パイン・キムドンファン先生のご子息の方がおっしゃった言葉が、私たちよりも切実な、関係者の言葉であるので、それで代わりたいと思います。こうおっしゃいました。私の父であるパイン・キムドンファンは韓国文学に大きな寄与を果たし、雑誌「三千里」を通じて雑誌言論にも寄与された。しかし残念ながら植民地末期の父は「臨戦保国団」からなる多くの親日団体の幹部と親日活動を行い、民族に対して償いきれない罪を犯された。しかし私にとってさらに悲しいことは、私の父が6.25のときに拉致されたことにより、この民族の前で自分の口で謝罪する機会を逃し、この息子が代わることになったためあまりにも口惜しい。とおっしゃられました。誕生100周年を迎える時点で、息子の私が父の業績や文章を集める過程で、息子として父の親日に関する資料をすべて揃えた。これを後に資料集に添付し、後代の学者たちが客観的に評価してくれることを願う。とおっしゃられたのです。私が考えるに、私たちはこのような正解にすでに気づいているはずなのです。目の前の利益に目が眩み気づかぬふりをしてきただけです。かつて解放の直後、親日清算をしようとしたときも、既得権を守るために親日清算に反対したため、60年後の子孫への刃となって返ってくるのではありませんか?復讐ではなく、痛いしこりとして。同様に、私はさっきチュ教授とチュ博士殿がおっしゃられ、ホ教授殿もおっしゃられたように、この辞典はそういった意味で、私たちの内部にも日本帝国主義に協力したという恥ずかしい歴史が厳然として存在するということを告白し、反省するための書であり、私たちは、すでになくなられた親日をされた方々の問題として捉えるのではなく、生き残った私たちが、これとどう向き合い、どう解いていくのか、それこそが歴史的問題なのである。そこから正しい道を探索できるだろうと、私は考えているのです。

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私から申し上げたいことがあります。まず、ホ教授殿が価値判断のことをおっしゃいましたが、私たちの辞典の前のほうを見ますと、ご存知だと思いますが、辞典の収録基準というものを載せています。収録基準というものは、それ自体が客観的で合理的な一つの収録基準ということです。私が思うに、この問題の優先概念や基準について多くの誤解をされているようです。もちろん、韓国社会では親日問題がしっかり学問的に語られることが難しく、そういったことを言い出したものなら、「アカ」だの「反政府勢力」だの言って学問の場がうまく機能しないことが事実です。しかし本当のところはこういうことです。親日問題は、法的な問題なんかではなく、あくまで歴史的な概念です。すなわち、日本帝国主義の利益と要求に積極的に協力した部類だと申し上げることができます。抽象的にはそうなんですね。ところが問題は、日本帝国主義の本質的要求は朝鮮を植民地にすることです。したがって、その時期において親日勢力の本質的な意味は、日本語塾の講師だったとか、そんな人のことではなく、まさにこの植民地化を進める、すなわち売国的行為に加担する人々が1910年までの本質的親日勢力なのです。1910年以降には売国勢力など存在しえないのです。すでに植民地化しているからです。したがって、1910年から1945年の時期に注目すべきは、文化的水準も高く、人口も2千万名を超えており、土地も日本に肉薄するこの地域を、日本が効果的に収奪し、統治するためには、何よりも殖民統治機構というものが必要だったということにあります。つまり1910年から1945年の間の親日行為の本質は、いかにして、もっとも末端にまで朝鮮総督部が、あれだけの徹底的な収奪と弾圧を行えたか、その主軸である殖民統治機構への協力行為が、もっとも本質的な親日行為となるのです。この場合、私たちがいつも話していることですが、ここで重要なことは価値判断ではなく、客観的判断として高等官以上だと話しているのです。高等官といえば今日日の事務官ですが、いまの事務官とはとても違います。そのことを私が少し説明いたします。あの当時、日本陸軍士官学校を出た高等官の方が書かれたものです。キムジョンリョルさんです。これをご覧になりますと、高等官と判任官、すなわち事務官と事務官以下のことなのですが、高等官は日本で華族の次の士族、すなわち準貴族の扱いを受けることになり、一般平民と身分的にも違うと区分されるということです。たとえば高等官は汽車に乗っても3等車ではなく2等車に乗り、しかも高等官の夫人は「オクサン」という称号で呼ばれ、その下級官吏たちは「オカミサン」と呼ばれた特殊な職種です。つまり朝鮮人から見ればこの高等官は郡守にたとえることができます。郡守級。私たちから見れば、日帝植民地の時期に多くの朝鮮人官吏がいました。行政官吏です。その中で12人しかいなかった朝鮮人の道知事を除くと、朝鮮人にとっての最高官職は郡守でした。彼らこそが朝鮮総督部が地方まで収奪できるようにしたもっとも核心となる重役であり、自発性と忠誠心と能力を示した職業的親日の形でした。このような意味では軍将校もそうだと見ています。軍将校についてはあとでパク・チョンヒ元大統領について話すときに改めて申し上げます。このような意味で、私たちが思うに1910年~1945年間の職責は、正確には日帝殖民統治に職業的に服務する職責であり職務です。このことを隠して話してしまえば、朝鮮総督部は1910年から1945年まで、アルバイトを雇って働かせただけということになります。いまのホ教授のおっしゃるとおりなら。しかしそれは違うのではありませんか?最後にもう一つだけ申し上げます。いまも争点となっている部分ですが、この中で私たちが見落としてはいけない箇所があるのです。さきほど普通の親日派とおっしゃいましたが、1937年から45年の間の日本帝国主義の本質的な要求は、戦争に朝鮮人の財産と命を捧げさせることです。天皇の戦争に対してです。したがって、この時期に服務すべき親日派たちは、朝鮮人に天皇のために玉砕させるために、どうすればよかったでしょう?内鮮一体、皇国臣民、同祖同根などといった統治イデオロギーと、天皇のために戦争に向かう戦争動因イデオロギーに力を入れることが本質的です。したがって、この時期の官吏というものは、あやふやな概念ではなく、その当時の日本の対外侵略戦争にどうすれば朝鮮人が積極的に天皇のために命を捧げるように仕向けるかについての部分ですので、かつて反民特委ではすぐには話されなかった知識人、言論人、文化芸術人のような、このようなイデオロギー担当者たちが強調されるのです。私に言わせれば、親日問題とは「このときのイワンヨン(李完用)が悪いのか。それとも37年度の行為のほうが悪いのか」などといったことではありません。各々の歴史的地形が違っているのに、すべからず等価にして比較しようとする法的な視覚に対して疑問を禁じえないということです。


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_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 抜粋終わり _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

隠蔽し、誤魔化し、政治に利用しようとするやからがいるから、話がややこしくなるのですね。

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